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大阪地方裁判所堺支部 昭和45年(わ)165号 判決

主文

被告人三上天史を懲役一三年に、被告人早野早苗を懲役四年にそれぞれ処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各二三〇日をそれぞれその刑に算入する。

押収してある電気釜コード一本(昭和四五年押第五二号の一)を被告人早野早苗から、バール一本(昭和四五年押第五二号の二)を被告人三上天史から各没収する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人三上天史は、中学校卒業後家業の手伝いを振り出しに、工員や店員をしながら転々として職を換え、暴力団の組員にもなり、その間窃盗罪等を犯して七回懲役刑の判決を受け、最後に昭和四四年七月一五日大阪刑務所を出所し、実兄三上肇方に身を寄せ同月二六日から堺市楢葉所在の太陽工芸株式会社でミシン工として働き、被告人早野早苗は旧制の高等女学校を卒業後三年ほど家事手伝をした後、家具屋の店員をしていた早野幸雄(昭和四年三月九日生)と結婚し、同人との間に三女をもうけ、同人は独立して家具の製造卸売業を営むようになつたが、同人が仕事に失敗して広島の方へ逃避している間に使用人の今井信夫と情交関係ができて昭和四〇年八月ごろ家出をし、今井としばらく同棲していたが、その後右今井と別れ、夫早野幸雄の世話で昭和四三年ごろから大阪市東住吉区所在の有楽荘アパートに一人で住み、最初は鉄工所に勤めたがまもなく椅子張りの仕事をするようになり、右幸雄とは別居生活のまま時々肉体関係を続けていたが、昭和四四年四月下旬ごろ、家具店を持つて商売をしたいと考え、大阪市東住吉区所在の周旋屋へ行つたものの、値段が高く借りることを断念したが、そのとき、妻が死亡したので家を子供に売り、その金でホルモン屋を開業しようと思つて店を求めに同店に来合わせた韓国人朴又完(明治三五年六月二八日生)が被告人早野早苗の話を横で聞いていて、「わしは商売をしようと思つて今日手付を打つたがあなたなら譲つてもよい、一回見てはどうか」と誘うので同人と一緒にその家を見に行つたが、西日があたるので家具屋には向かなかつたところ、同人は「ホルモン屋を始めたいて思つている。あなたにまかしてもよいから店を手伝つてくれないか」などと言つて被告人早野早苗の気を引き、同被告人は三回位朴又完と一緒に泊り、数日間同人のはじめたホルモン屋を手伝つたが、同人が韓国人であるうえに酒ぐせが悪く同被告人の身体が目的であることがわかつたのでいや気がさし、同人と別れようと思い、前記有楽荘にいると同人が来るので、夫早野幸雄の世話で、同年七月上旬ごろ、堺市楢葉八八松田忠雄方の離れを借りて住み、前記太陽工芸株式会社で働くようになつたものであるが、そのすぐ後で前記のとおり被告人三上天史が同じ職場で働くようになつた関係で被告人両名は親しくなり、ついに同年八月九日、被告人早野早苗が住んでいた前記松田忠雄方離れで肉体関係をもち、しばらくして同所で同棲するようになり、被告人三上天史は自分の生い立ちや刑務所から帰つたことを話し、被告人早野早苗も自分の身上話をし、韓国人のおじいさんがほれ込んで自分の後をうるさく追い廻していることや、そのおじいさんが沢山金を持つていると言つて朴又完のことを話したが、同年八月二〇日ごろ、朴又完が被告人早野早苗を捜していて有楽荘の方へも迷惑をかけているということを同被告人が聞き、そのことを被告人三上天史に話したところ、被告人三上天史は「おじいさんから金を出させてアパートでも借りるか。」といい、被告人早野早苗もアパートにかわりたいと思つていたのでこれに賛成し、被告人早野早苗の方から朴又完に電話をし、被告人早野早苗と朴又完が会い、同被告人が「家をかわりたいので一〇万円金が欲しい」と言つたところ、朴又完は「ホルモン屋は売ることにした、お前と一緒に住んで商売しないか、」と言つたので、同被告人は帰つてそのことを被告人三上天史に話し、被告人らは金銭的利益を得る目的で腹違いの姉弟と偽つてその話を進めることになり、被告人早野早苗が朴又完に会つたとき「私もおじいさんと一緒に暮したいが腹違いの弟をみないといけないことになつている。同居させて貰えるか、」と話したところ同人が了解したので、同月二七日ごろ、被告人早野早苗は朴又完とアパートを捜しに行き、堺市浅香山町三丁一一番一一号の木造瓦葺二階建文化住宅の階下を被告人早野早苗の名義で借りることになり、朴又完が二〇万円の敷金を支払い、被告人両名は同月三〇日ごろ同所へ引越し、同所で姉弟を装うて朴又完と三名で生活するに至つたものであるところ、

一、被告人三上天史は一緒に生活して朴又完より金を出させようと考えていたのに、同人が被告人早野早苗から金を借りたり、新聞の求人欄を見ていることから沢山金を持つているということが疑わしいと思うようになり、同年九月三日頃、被告人早野早苗にそのことを話し、「おじいさんの留守に敷金をおろしてその金を持つて逃げへんか」とか「じいさんをいわしたろうか」などというようになつていたが、同月四日被告人らは一緒に家を出て太陽工芸株式会社へ働きに行き、午後七時ごろ一緒に前記文化住宅に帰宅したところ、すぐ後から帰つてきた朴又完が顔色をかえて被告人らに対し「お前らはわしを騙した、お前は松岡だと言つて嘘を言つたな、三上やろ」と言つたので、被告人三上天史はとても隠しきれないと思い、反対に脅してやろうと考え、過去につめた指を見せて「俺はこういうもんや、元極道をしていたんや、早苗はわしの女や」と言つて口論となり、被告人三上天史と朴又完は右文化住宅四畳半の部屋で掴み合いとなつたが、被告人三上天史は正体を見破られた以上同人を殺害しようと決意し、朴又完の背後にまわり、後から右腕を同人の首にまわし、前頸部を扼しはじめ、たまたまその日時頃にさきに引越しを手伝つてくれた刑務所時代の親友鈴木こと下鐘五が忘れたサングラスを取りにくることになつていたので、台所にいた被告人早野早苗に「いてまうぞ、鈴木が来るかわからんから見てこい」と言つて見張を頼み、朴又完を奥六畳の間に連れ込み、立つたままで朴又完の首にまわした右腕を左手でささえるようにして力一ぱい締めつけ、そのままの状態で畳の上に倒れて更に強く締めるうち右手がしびれてきたので、右腕を首から離したが、そのときその部屋の北側のガラス窓に被告人早野早苗の影が写つたので同被告人を室内に呼び入れ、「手ではあかん、とどめをさすから紐を持つてこい」と言い、被告人早野早苗から台所にあつた電気釜のコード一本(昭和四五年押第五二号の一)を受け取り、同コードを二つに折つて朴又完の首に一回巻きつけ、その輪の方に右足をかけ、ソケットのついている方を両手に持つて引つ張り、そのまま朴又完の首ががくんとなるまで締めつけ、よつてすぐその場で同人をして窒息死するに至らしめ、

二、被告人早野早苗は、相被告人三上天史の右犯行の際、相被告人三上に言われたとおり、鈴木こと下鐘五が来るかもしれないのでその見張りをし、また相被告人三上が朴又完の首をしめて殺害するために使うものであることの情を知りながら同被告人に電気釜のコード一本(昭和四五年押第五二号の一)を渡し、もつて相被告人三上天史の右犯行を容易ならしめてこれを幇助し、

三、被告人両名は朴又完の死体の処置について相談し、自動車で運んで捨てることや、前記文化住宅の奥六畳の間の床下に埋めることなどを考えたが、結局共謀の上、同月六日午前二時ごろ、右死体を同市浅香山三丁無番地国鉄阪和線浅香駅西側道路脇の土中に埋め、もつて死体を遺棄し、

第二、被告人三上天史は、

一、昭和四五年二月三日ごろ、堺市楢葉二六〇番地喫茶店「越路」において、相浦澄子所有にかかる現金四、〇〇〇円位、ドーナツ盤レコード四〇枚位、額二枚(時価合計一万五、〇〇〇円相当)を窃取し、

二、同月一〇日ごろ、同市楢葉一三一番地先路上において藤原義一所有にかかる軽四輪貨物自動車一台(時価二〇万円相当)を窃取し、

三、同月一三日ごろ、同市宮山台四丁目七番地レストラン「泉北」において、土師美代子所有にかかる現金三、〇〇〇円位を窃取し、

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断および被告人早野早苗について殺人の共同正犯を認めなかつた理由)

判示第一の一の事実につき、起訴状記載の訴因によれば「朴又完が被告人らの正体を見破り口論となつたので、被告人三上天史は同人を殺害しようと決意し、朴又完を同家六畳の部屋へ押し込み、腕で同人の頸部を扼しはじめるや、被告人早野早苗は、朴又完の殺害に加担することを被告人三上天史と共謀し、その際見張りをし、さらに首を締めるために電気釜のコードを被告人三上天史に渡し、被告人三上天史において右コードをもつて朴又完の頸部を締め、よつて同人を窒息死するに至らしめ、」とあり、検察官は被告人両名の共同正犯を主張する。これに対し被告人早野早苗の弁護人は、被告人早野が朴又完の殺害に加担することを被告人三上と共謀し、またその際見張りをしたことを否認し、さらに被告人早野が被告人三上に電気釜のコードを渡した際、朴又完は既に死亡していたから被告人早野は無罪であると主張するので順次判断することにする。

まず被告人三上が朴又完を殺害しようと決意し、同人の頸部を扼しはじめた際同被告人が被告人早野に対し「いてまうぞ、鈴木が来るかわからんから見てこい」と言い、それを聞いて被告人早野が見張りのために外へ出たという事実の有無について判断するに、被告人三上の前掲司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、同被告人は最初単独犯行を主張していたが、途中で朴又完を殺害した後で被告人早野に鈴木の見張りを頼んだと述べ、その後で右冒頭記載のとおり見張りを頼んだと述べ、被告人早野の前掲司法警察員および検察官に対する供述調書によれば、最初は二人が喧嘩をはじめたので私は部屋を飛び出したと言つていたが、その後右冒頭記載のとおり述べ、当公判廷では両被告人共被告人早野が鈴木を見張るために外へ出たのは朴又完を殺害した後だと述べている。ところで被告人三上が朴又完の首をしめていた際に被告人早野が外へ出たことと、その時期が朴又完殺害の前か後かは別として被告人三上が被告人早野に鈴木が来るからと言つてその見張りを頼んだこととは、被告人三上が自己の単独犯行を主張する調書を除いて、両被告人の前掲各供述調書および当公判廷の各供述を通して認められるところである。したがつてその見張りを頼んだ時期が朴又完を殺害する前か後かが問題になるが、そもそも見張りを頼む動機は鈴木に見られたくないことであり、見られたくないものを右時期によつて区別すれば「殺すところ」と「殺したこと」とになる。被告人早野の弁護人は被告人三上が朴又完ともみ合つている際に、鈴木が来ることを想起して被告人に見張りをさせるほどの冷静さ、周到さがあつたと考えるのはいかにも不自然だと主張するが、被告人三上の判示前科や暴力団員をした経歴、被害者朴又完との年令差および体力差等を考慮すれば、そのもみ合いにおいて同被告人にかなり余裕のあつたことが認められ、「殺害するところ」を見られたくないと咄嗟に考えたとしてもかかる立場の同被告人の心理としてあながち不自然ではなく、むしろ「殺したこと」を隠したいと思つて被告人三上がわざわざ被告人早野を見張りやつたものならそのすぐあと鈴木がやつて来たときに隠そうと思えば隠せたであろう朴又完の死体を簡単に見せたということこそ不自然であり、また殺害後に見張りを頼まれたことが真実なら、そのことが被告人早野の捜査段階における調書に全く記載されていないことも不自然である。この点被告人早野は当公判廷で検察官の「私があなたを調べる前に、今まで述べてきたことにこだわらずに記憶どおりのことを言つて下さいと書いましたね」という問に対し「はい、言われました」と述べていて、同被告人の検察官に対する供述調書記載の供述は信用でき、前掲被告人三上の検察官に対する供述調書記載の供述等によつても、被告人三上が被告人早野に右見張りを頼んだのは朴又完を殺害する前であつたことが認められ、冒頭の事実を認めることができる。

次に被告人早野が被告人三上に電気釜のコードを渡した際朴又完が既に死亡していたか否かについて判断するに、被告人三上の当公判廷における供述によれば、被告人三上が被告人早野に紐を持つてくるように言つたとき、朴又完の喉のあたりで音がしていたというのであり、被告人両名の前掲検察官に対する各供述調書にもその時点でまだ朴又完の息が聞こえたという趣旨の記載があり、同人がその時点でまだ生きていたことを認めることができる。

そこで被告人両名間に朴又完殺害の共謀があつたか否かについて判断するに、前記認定のとおり被告人三上は朴又完の頸部を扼しはじめた際、被告人早野に対し「いてまうぞ、鈴木が来るかわからんから見てこい」と言つたわけであるが、それより以前に被告人両名間で朴又完の殺害を共謀したと認めるべき証拠は何等存在せず、また前掲各証拠によれば、判示第一の冒頭に記載した経緯で被告人両名と朴又完の三名が同居するようになつたが、被告人三上は、朴又完が考えていたほどには金を持つておらず、朴又完が、いるため被告人早野と情交関係を結ぶにも邪魔であるし、朴又完が被告人早野に接近することに対する嫉妬心等から、潜在的に場合によつては朴又完を殺害しようということを考えていたかもしれないが、被告人早野は朴又完が邪魔でこれを殺害したいという程の気持があつたとはとうてい認めがたいところである。問題は被告人両名の関係が朴又完に見破られ、被告人三上と朴又完とが争いとなつたとき、被告人三上が被告人早野に「いてまうぞ、鈴木が来るかわからんから見てこい」と言い、被告人早野が鈴木の見張りにいつたことから共謀の事実が認められるか否かであるが、被告人早野が被告人三上の右言葉を聞いて、被告人三上が朴又完を殺害しようとしていることを認識したことは明らかである。ところで共謀が成立したというためには、単に他人が犯罪を行うことを認識しているだけでは足らず、数人が互に他の行為を利用して各自の犯意を実行する意思が存することを要し、被告人早野自身にも朴又完を殺害しようとする意思の存することが認められなければならない。その点で前判示のとおり被告人早野が、被告人三上の言葉に従つて鈴木を見張る行為に出ていることが認められるが、そのことから被告人早野が朴又完を殺害することを決意ないしは欲して鈴木の見張りを引き受けたとみるのは早計であり、その際における同被告人の心情、当事者間の関係および状況等を総合して判断すべきものであるところ、同被告人の前掲司法警察員に対する供述調書によれば、「私もおじいちやんから金さえ貰つたらあとはどうせ放ろうと思つていた矢先でもあつたので、おじいちやんがにいちやんに殺されても仕方がないが、おじいちやんが殺される苦しそうな顔やうめき声など聞いたりするのは堪え切れなかつたので家を出て……」となつており、また同被告人の検察官に対する供述調書では、「私は三上に対しおじいさんを殺すのをやめというようには言える立場でなく、私と三上とでおじいさんを騙していたのがばれ、その結果おじいさんが怒り出したわけですから三上の考えておることに従うことになり、三上とめないでそういうように三上がおじいさんを殺そうとしているところへ鈴木が来たら具合が悪いのでこれをやめようと思つて……」となつている。右両供述調書の記載からは被告人早野の心情としては朴又完が被告人三上に殺されても仕方がないと考えたことが認められる程度であつて、被告人早野自身も積極的に朴又完の殺害を決意ないし欲したとまでは認めることができず、また見張りに出た際も、鈴木の来るのをとめるためであつたが、朴又完が殺害される現場にいたたまれないという気持もあつたわけで、両被告人間の判示のような関係に加えて、被告人三上と朴又完の争いが突然に起つた出来事であり、被告人早野としては被告人三上の言うままに鈴木の来るのを見張つたことが認められ、その態度は消極的で、専ら被告人三上のために見張りをしたことが認められ、被告人早野が被告人三上の前記言葉を聞いて見張りをしたとしても、その際の被告人早野の右のような心情、両被告人間の関係、犯行前の前記被告人三上と被告人早野の対朴又完に対する感情の相異、本件犯行の突発性等の諸事情に徴すれば、本件で被告人早野の共謀を認めるのは困難であるといわなければならない。さらに被告人早野の判示電気釜のコードの授受行為から共謀が認められないかという点についても、前掲各証拠によれば判示のとおり、「手ではあかん、とどめをさすから紐を持つてこい」という被告人三上の指示で被告人早野が右コードを手渡したことが認められるが、前記見張りの場合と同様に被告人早野の態度は消極的であり、その心情も変つておらず、被告人三上と一緒になつて朴又完を殺害しようとして渡したというよりは専ら被告人三上の朴殺害行為に奉仕する形で渡したものであることが認められ、このことから被告人早野の共謀を認めることも困難である。されば被告人早野の判示見張行為および電気釜コードの授受行為はいずれも被告人三上の朴又完殺害行為を容易ならしめるためになされた行為であることが認められるから、被告人早野については判示のとおり殺人幇助罪が成立するに過ぎないものと結論するのが相当である。

(法令の適用)

被告人三上天史の判示第一の一の所為は刑法一九九条に、判示第一の三の所為は同法一九〇条、六〇条に判示第二の各所為はいずれも同法二三五条に、被告人早野早苗の判示第一の二の所為は同法一九九条、六二条一項に、判示第一の三の所為は同法一九〇条、六〇条にそれぞれ該当するところ、被告人三上天史の判示第一の一の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、同被告人の判示各罪は前記各前科との関係で再犯であるから、いずれも同法五六条一項五七条により同法一四条の制限内で累犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を処断すべきであり、被告人早野早苗の判示第一の二の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、従犯であるから同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を処断すべきところ、被告人三上天史には窃盗罪などの前科が多く、判示第一の一の罪はその出所後間もない犯行で、被害者が被告人三上の情婦である被告人早野を以前から追い廻していて金を持つているということを聞き、これを利用してその金銭をまきあげようと思い被告人らは腹違いの姉弟だと被害者を偽わり、文化住宅の権利金を出させて三人で同居したが、朴又完が金をもつていないことが分つたうえ、被告人らの正体が露見したため被害者を絞殺したものであり、判示第一の三の罪は右殺害後その死体をわからないように土中に埋めたもので、その犯行はいずれも残酷で罪の意識が乏しく、殺害後被害者の身につけていた金を奪つたり文化住宅の権利金をおろすなど、その犯行前後の情状もまた極めて悪い重大事犯であり、その後に判示第二の窃盗罪を犯すなど遵法精神を全く欠きその悪性は非常に強く、被告人早野早苗については、その複雑で多情な男性関係が相被告人三上天史をしてこのような犯行に至らせる原因をなしたということができ、殺人罪について共謀を認定しなかつたとはいえ、相被告人三上天史に対する協力の仕方は共同正犯に近く、死体遺棄罪は相被告人三上天史と全く共同してやつているなどその責任は重いが、他面被告人三上天史の本件殺害行為は計画的な犯行ではなく、判示第二の窃盗は回数、被害金額ともに少なく、自動車など被害品の多くは還付されており、被告人早野早苗には前科前歴が全くなく、本件犯行における地位は従属的であり、被害者が同被告人の色香に迷い、執拗に同被告人を追つかけた点で被害者の方にも問題があり、今では十分反省しているなど被告人らに有利な事情も認められるので以上諸般の情状を考慮して被告人三上天史を懲役一三年に、被告人早野早苗を懲役四年にそれぞれ処し、被告人らに対し、同法二一条を適用して未決勾留日数中各二三〇日をそれぞれその刑に算入し、押収してある電気釜コード一本(昭和四五年押第五二号の一)は判示第一の二の、バール一本(昭和四五年押第五二号の二)は判示第一の三の各犯行の用に供し、または供せんとした物で犯人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項を適用して右コードは被告人早野早苗から、右バールは被告人三上天史から各没収することとし、被告人三上天史に対する訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により同被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。(栄枝清一郎 弘重一明 浦上文男)

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